無意識と私と羊雲に乗って

催眠療法と無意識さんに魅せられた人。

支配について(私ver.)

本日の心は「支配について書きなさい」と言ってきます。

正直、支配について、私自身分かっているような分かっていないような感じがあります。

 

まず、その理由の一つに、私は「心に聞く」が出来る人からわりと高確率で「あなたが支配者だと言われる」と言われます。

私としてはかなりショックなことなので「間接的な支配か直接的な支配か教えてもらえますか?」と聞いてもらっても、「直接的な支配者だと言われます」とわりとハッキリと答えられてガーン!となります。

 

一時期、あまりに悩み過ぎて、大嶋先生や泉先生に相談したこともあります。

 

その結果、「自分の心が言ったことが正しい」ということと「支配というのは関係性で変わる」ということを教えていただきました。

 

「支配者」というのは生まれてから死ぬまでが支配者だという説ですが、それ以外にも「支配者」は罪の意識を与えてくる存在であること。そして、自分が自ら距離を取る必要がある人のことも「支配者」だと心は教えてくれます。

 

私の場合、「支配者」と呼ばれる人は「尊敬していた人」が多いです。

心底「すげー!」と思って憧れていた人に、心は容赦なく「その人は支配者です」と伝えてくる。

 

「支配してくる人」が必ずしも悪人であるというわけではないと思っていますが、何が問題なのかというと「支配をされることによって、自分に罪悪感を与えられて歪められる」ということなのでしょう。

 

誰かが『無意識の旅』で「罪悪感を感じる方が自由になる道だと気づいた」と仰っていたのを聞いて、私はとても救われた気分になりました。

 

救われた、という表現は違うかもしれませんが、肩の荷がおりた感覚です。

今までの人生で、ずっと自分を罰して「正しいことをしなければ…」と思ってきたので、だからそんな自分が「あなたは直接的な支配者です」と言われたことに腹立たしさも感じたし、「どうして私を陥れて人から孤立させようとするの!」と怒りを感じる。

いや、感じていたのだと思う。

 

なぜなら、その当時はまだ自分の怒りに対しての耐性がなく、怒りを感じた際に「怒ってはいけない/相手を責めてはいけない。なぜなら自分に非があるから」と常に解離して、自分の怒りを感じないようにしていたからだ。

 

怒りを感じる相手というのが自分にとっての「支配者」であるのだとすれば、大嶋先生が仰っていたことは「もし、自分が他人から支配者だと言われたら、その人とは距離を置いてね、ということだと思います」という回答であったと記憶しています。

確かに、距離が近い感じはあったし、距離を開けたいと思っている相手でもありました。

 

私は、「支配者」だと言われてしまう自分を恥じていました。

「支配者」だと言われると、みんなから距離を置かれてつまはじきにされるという感覚です。とても惨めでした。

 

支配者なら、自分が惨めであるとか悲しいとか怖いとか感じないはず…と思いながら、それでも私が誰かを支配してしまわないかと怯えて暮らしていたのです。

 

そこで、あることを思い出したのですが、私はどこに行ってもわりと「目立ってしまう」タイプでした。

 

それは「頭の良さ」でもあったし、ある時は「オシャレさ」。またある時は「可愛さ」そしてある時は「優秀さ」…など、さまざまな面で秀でていることで目立ってきました。

(これはあくまで心に全て聞いて書いているので、私自身は「知りません」と知ったかぶりをしておきます(笑))

 

確かに自分に「目立ちたい願望がない」と言えば嘘になります。

私だって人から褒められたいし称賛されたい。

 

だけど、時にはそれが「吊るし上げ」のように「あなたは恵まれてていいよね」と私に愚痴さえも許してくれない環境を与えたりもします。

「私はいつでも立派であらなければならない」

 

その結果、バランスを崩し、そして支配者である母の思い通りに操られた結果が「孤立させらる」なのでしょう。

 

私にとって「支配」とはまだまだ未知数なものですが、だけど大嶋先生の仰った「自分の心が言うことが正しい。自分の心がそうだと言ったらそう」という言葉を支えに、これからも無意識とともに生きていければいいなと思っています。

 

私が「支配者でない」という証明はそれぞれの人の心に聞いてもらってでしかできないけど、私自身が「支配者と上手いこと距離を取って生きる」ということは十分にできるのです。

 

だから、私が私のためにできることは「私の心は自分のことを“虚無”と言っている。だから、それだけでいいじゃないか。私は私の心を信じて生きる」ということだけで良いのではないかと思います。

 

最後に心からのメッセージをもらいます。

「心よ、何か今、私に言いたいことはありますか?」

「そうですね、私はずっとあなたに“自分らしく生きる”ように伝えてきました。あなたはその度に“自分らしくが分からない”と私に言い続けました。今ここでその答を言うならば“あなたは神の子ではない。人間の子だから泣いても良いし笑っても良い”」

 

私はなぜかその言葉を聞いて、とても泣きたい気持ちになるのです。

私は自分の感情を感じることを自分に許していませんでした。

つい最近、彼氏にも「泣かないで」と泣くことを禁止され、悪いことのように訴えられたのです。