無意識と私と羊雲に乗って

催眠療法と無意識さんに魅せられた人。

私が生き抜いてきた過去

私が生き抜いてきた過去は、そう壮絶なものではありません。

なぜなら「目立ったイベント」というのがないからです。

 

親から虐待された覚えもないし、性的に歪められた記憶もないし。

何か一つでも「これ!」というのがあれば、もっと早くカウンセリングを受けていたのかもしれない。

 

それだけ、未だに人に「トラウマ」を話す時は苦痛だったりする。

だって相手が高確率で「あるあるある!それ私もある!あるよねー」なんて言われた日には私の中の「分かってもらえない孤独」が暴走する感じです。

 

まあ、よくあることだとしても、そこで話をすり替えるなよ!と思いますし、「だからあなたはそんなに苦労してないよ?」という慰めも何の役にも立ちません。

 

こうやって書いていて思い出すのは、小学校・中学校時代の「自称親友」です。

 

私はこの子が本当に嫌で、何とか離れたくて塾を休んだりしても、家の中に勝手に入ってきて引きずり出していくのです。

理由は「一人だと嫌だから」だと思います。

 

この子はまあまあ美人で目がくりっとしていて、「出目金」なんてあだ名で呼ばれていましたが、それも可愛かったからでしょう。

中学に入ると次々とイケメンと付き合っては、人(私)の好きな人も取ろうとしてきます。

 

私はこの子のせいで、当時良い感じだった年下の男の子と上手くいかなくて、彼と再会した時には時すでに遅しで破壊的な恋愛をしてお互い潰し合いました。

まあ、この子のせいじゃないかもしれませんが。

 

この自称親友は、自分の可愛さを棚にあげて私の醜さを暗にディスってきます。

なんてゆうかなあ…「こんなブスな子と一番仲いいあたしっていいやつ!」というか「ブスな子にでも対等に話ができる私って女神!」っていうか、ことあるごとに構ってきては恋愛相談を延々聞かされ、彼氏の言伝を頼まれたり、「彼氏があなたのこと可愛くないのになんで一緒にいるの?って聞いてくるのー(泣)」というようなヤバイ性格のやつです。

 

そのヤバイ女にポロッと「うちの家庭はひどいんだ」っていう話を藁をもすがる思いで話をすると、「あたしもあるよ♡父親にぶたれたり、母親に怒鳴られたり、うちも結構ひどいの!」という悲劇のヒロインぶりが延々と発揮されていきます。

 

ある日私は、ふと気づきました。

 

私はこの子といる時にひたすら聞き役だったんです。

自分のことを一切喋らず、ただただ相手の望むようなことを羅列しているだけで、思考回路が死んでいました。

 

だけど、この子と離れた途端に「自分のことしか話せない自己中女」になってしまったのです。

それも恋バナばっかり…。

 

私は現在、強烈に「自分の話をすることに対する罪悪感」と「自分の恋愛話を聞いてもらう醜い自分」を恥じています。

これ、ブログ書きながら気づいたのですが、本当に強烈です。

 

まず「自分の話」をすることで相手の時間を奪っている恐怖と罪悪感が激しく、また「自分の恋バナ」という相手に何のメリットも関係もない話をして相手の時間と自由を奪ってしまう恥じらいがものすごくあることに気づきました。

 

ずっと「なんで恋バナをすることに強烈な抵抗があるのだろう?」とカウンセリングでさえも、カウンセラーさんに申し訳なく思っていたのです。

「自分の話をする」もそうですね。

自分のカウンセリングなのに、なぜか「カウンセラーさんの話を聞かなきゃ!」と焦るんですよ(笑)

 

だからか初めてのカウンセラーさんは、「自分の話をしたい人」でしたね。

だけど、今のカウンセラーさんは逆に一言も自分の話を発せずにいて、そして私の職業でのアドバイスも「そうですよ、自分の話はしない方がいいです」と言われます。

(この時の意味は、別にメタファーを潰してしまうからとかではなく、どちらかというと「カウンセラーが自分の話をすると嫉妬される」というニュアンスでした)

 

私の職業はプライドが高い人が多く、お互いに癒し合う共感しあうがほぼなくて、話を聞いてもらう機会というのがなかったんですね、

私の思う「話を聞いてもらう」というのは、お互いの主観を挟まずに相手の無意識を聞くことだったのかもしれない、と今でも思うのです。

 

だから彼氏が主観で話してきたらイラ!とするし、「そんなの知ってる!」ってなります。

私はもしかしたら相手に高度なことを求めているのかもしれないけれど。

 

私は高校生ぐらいの時から、世界中誰でも知っている有名人になるのが夢というか野望でした。

私はそれが、当時好きだった人に振り向いてもらえなかったから、せめて有名人になって彼の心に刺さる音楽を作って見返してやりたい!という思いから、自分は有名人になりたいのかと思っていました。

 

だけど、もしかしたら、この「どうしても有名人になって見返してやりたい!」という人に対する強烈な嫉妬は、この自称親友のものだったのかもしれません。

この自称親友は高校卒業後にある芸能事務所に所属して、成人式の時には専属カメラマンを連れてやってきました。

 

「心よ、この自称親友は支配者ですか?」

「いいえ、違います。彼女は虚無だけど、あなたに操られて被害者ぶっていました」

 

私に操られてって、どういうことやねん?と思い、再び心に聞いてみます。

「心よ、私に操られているというのはどういう意味ですか?」

すると心は「そうですね、彼女は“あなたに操られて、したくもない恋愛をして、したくもない友人とダベッて、したくもない勉強に励んで…でも、あなたを越えられなかった”」

 

「心よ、それは今の彼女の感覚ではなく、それは当時の彼女の感覚ですか?」

「そうではありません。今の彼女の感覚は“あなたに対する嫉妬”が強くて、当時の彼女の感覚は“あなたに負けたくない”という感覚が強かったのです」

 

「心よ、彼女は私の何に負けたくなかったのですか?」

「それはあなたの美しさ、汚れなき疑いの心を知らぬ純粋さと、人望」

 

「心よ、私は本当に彼女を操っていたのですか?」

「そうではありません。彼女はあなたのせいにして、全てをあなたの責任にして、そして自分は罪を背負いたくないからとあなたを巻き添えにするのです」

 

 

それでようやく思い出しました。

この感覚は、彼女は私を褒め称えた後に、私が心配になるようなことを吹き込んできます。

または、私がグサッとくるような一言を言って、私を自由にさせないようにしているような、そんな感覚がありました。

それが今回の件と大きく関わっているような気がするのです。

 

『心配しているふりをして私を責めてきている』

 

「あなたのためにならないから」っていう言葉は、この世で一番おせっかいな言葉だと思っています。

ああ、全てが私の人生で関わってきた、私の故郷で関わってきた陰湿ないじめ体質のような人たちと繋がって、私は久しぶりにそのような人たちと関わってしまいました。

いや、今まで気づいていなかっただけで、世の中には案外たくさんいるのかもしれない。

 

この人たちは悪気なく言ってきます。

「で、あなたはどうしたいの?」

 

今の私ならこう言います。

で、お前はどうしたいねん!嫌なら断れよ!と(笑)

 

うーん、元カレにも似てるなあ。

自己犠牲するということは、他人にも迷惑をかけてしまうことにも繋がるのかもしれませんね。

しかしながら、私は今回のこの自称親友を彼女と呼ぶほど尊敬していないし、自分のテリトリーに入れた覚えはないのです。