無意識と私と羊雲に乗って

催眠療法と無意識さんに魅せられた人。

「光の人になりたい」

心に聞くと、自分の属性が分かります。

大嶋理論でいうと、世の中には「支配者・虚無・光の人」の三属性があるんです。

だけど私は、数年前の講座で大嶋先生が「光の人はいない」と言ったような言ってなかったような気がしていて、『光の人』の存在を忘れていたんです。

 

で、ある方に「私の属性は何ですか?」と聞かれた時に、「大丈夫!虚無だよ!」と答えたら、実は『光の人』になりたかったそうな。

でも、その気持ち、分かります。

なんだか分からない“憧れ”というのが『光の人』にはあって、それが『光の人』にしかない“特別な称号”なのかもしれません。

 

そうすると、その『光の人』になりたかった方に再び心に聞いてもらうと、その人の心は「光の人になれるよ!」と言ってくるのです。

(あれ?私の心だったかな?笑)

 

そう、それで私の心に「どうやったら『光の人』になれるの?」と聞いてみたら、「そもそも『光の人』はそんなカテゴリーを気にしない」と言ってきて、その方と私とでとても納得した記憶があります。

 

だから、私が『支配者』とある人の心に言われたように、本当にその人との関係性で『支配者』なのか『虚無』なのか『光の人』なのかが変わるのかもしれない。

(詳しくは大嶋先生に質問してみてください。あくまで私の心は<今は>こう言っているようです)

 

そうなのです。

自分の心は「あなたは『虚無』」って言ってたらそれでいいし、自分の心が「あなたは『光の人』」って言ってたら、それで良いのだと思います。

 

じゃあ、なぜ『虚無』が『光の人』に憧れるのかを、このブログで心に聞きながら書いてみることにします。

 

「心よ、虚無は光の人に憧れるものなの?」と聞くと、心は「いや、それは支配が入れられてるでしょ」と言われます。

 

「心よ、どんな支配を入れられているの?それは人ぞれぞれの支配なのかな?」と聞くと、心は「そうだね、もし虚無が光の人に憧れるとするならば、それは母親から入れられた“支配”だと仮定すると、“あなたは特別なのよ”という支配なのかもしれませんね」

 

「心よ、虚無が純粋に光の人になりたい、と思うことはあるの?」と聞くと、「そうだね、もし虚無が光の人になりたいと願うならば、それは支配のない世界への憧れか支配かのどちらかになると思います」

 

「心よ、光の人とはどんな人?」

「それは“光の人”と呼ばれる人は特別なのかもしれない。だけど“光の人”からしたら、そんなことは関係ない。ただ“そこにある自分の生”を眺めるだけ」

と答えるのです。

 

だから私は「心よ、この世界は支配で成り立っているって本当?」と聞いてみると、「そうだね、この世界は支配で成り立っているけれど、その支配がなくなれば無法地帯になるのかもしれないね。だけど、もしこの世から支配がなくなれば、あなたは“自由になれる”と思うかもしれないけれど、“自由”というのはもうあなたが手に入れているものであって、この先それを望もうが望むまいが、あなたを邪魔するものは何もない」と言ってくるのです。

 

(念のためもう一度言っておきますが、ここに書いてある文章は、一言一句全て私の『心』が言ってきた内容をそのまま書き起こしているだけです。つまり、私が聞いているように見える質問の内容も質問の答えも、その間にある文章も、全て心が言ったことをそのまま書いてあるだけです。このカッコ内の言葉でさえもそうです)

 

「心よ、では、私はこの世の中で、何を信じて生きていけばいい?」と聞いてみます。

すると心は「そうだね、あなたはあなたらしく生きていく、それだけで良いと思います。無意識を起動する鍵は、私の会話ではなく、あなたが感じる“心地いい”の中にあります」とそう答えてくるのです。

 

「心よ、では“支配者”“虚無”“光の人”の三属性は、何のためのカテゴリー?」と聞いてみます。

すると心は「そうですね、それはあなたが自分を見失わないためのカテゴリーです」

 

「心よ、自分を見失わないために、この三つのカテゴリーが必要なの?」と聞いてみると、「そうですね、だって誰しも“自分を見失わないために”なにが必要なのかを考えてみた時に、“あなたはあなたである”という属性が必要なんじゃないですか?」

 

「心よ、なぜ自分を見失わないために属性が必要なの?」と聞いてみると、「それはあなたが三属性に則って生きるか、自分を見失わない術を身に着けて私<心>とともに生きるか、それはあなた自身が選べます」

 

(これはあくまで私の心が言っているだけなのですが、大嶋先生や皆さんに怒られないかヒヤヒヤします(笑))