無意識と私と羊雲に乗って

催眠療法と無意識さんに魅せられた人。

岩石と鉱石の違い

岩石と鉱石の違いと言われても、実際のところ私はピンと来ていません。

ただ、高校の時に地学選択だったぐらいには、地層とか地質の話は好きです。

 

そして、私は「岩石」の中や「鉱石」の中にロマンを見るのです。

 

たとえば、その土や砂が水や濁流の中で流されて形を形成したり、くっついては離れて別のものとくっついて別の形になったり…そんな自然の中の現象が目の前に繰り広げられた時に、私には「到底マネできないこと」と認識して、それ以上は深く考えないようにするのです。

 

そのように、私は「自分の頭では理解できない事象」や「自然の摂理に逆らって生きること」というのが相反する世界にある時に、私は混乱して、ただただ「宇宙を眺めるウサギ」になっているだけなのです。

 

岩石や鉱石を見る時に、まずはその大きさに注目するのかもしれません。

 

何となくのイメージですが、岩石の方が大きくて鉱石の方が小さい気がします。

だけど、そのイメージがもし違った時に、私の世界は大きく揺らぎ、そして根本から覆されたような感覚を味わうのかもしれません。

 

それはまるで「自分の信じた世界を覆された」と認識した時に、自分の足が宙に浮いたまま着地点を失ってしまったあの感覚に似ているのかもしれません。

 

岩石と鉱石が、何となくのイメージですが、岩石がゴツゴツしていて鉱石がキラキラ輝いているイメージがあります。

だけどこれが間違っている可能性もあって、なぜならキラキラ輝いていない鉱石もあるかもしれないから。

 

だから、いちいち「合ってるか間違っているか」を調べていたらキリがなくて、でも「間違っている情報を発信するわけにもいかない」という妙な正義感もあるのです。

 

だから、発信する時はちゃんと下調べをして「誰にも迷惑を掛けないように」と思うのですが、そもそも誰が迷惑を被るのでしょうか。

 

私は自分の書きたいことを書いて、そして知りたいことを調べて、そしてこうやって心と対話を積み重ねていく内に、知らない世界のことをたくさん知りました。

 

私はその「知らない世界」を知るたびに新しい発見があって、その新しい発見は私に新たな知見と知恵を授けてくれるけれど、私はその「新しい世界」のことを何も知らないのです。

 

私は何も知らないから、その世界を調べます。

そうすると出てくるのが、「宇宙を食べるウサギ」でした。

 

「宇宙を食べるウサギ」はとても大きくて、たぶん木星の数百倍の大きさで、そのウサギの足は宇宙の地面にちゃんとついているのではないかというぐらい。

 

「宇宙を食べるウサギ」はじっ…と地球を見下ろして(ウサギから見た地球は、人間世界でいう地球グミみたいなもんです)、その中にある生活をマジマジと見つめるのです。

 

そうするとウサギは、おもむろに手を出して、川の位置を変えたり、崖の形を整えて山を作ったり、そして川の流れを堰き止めていたものを取り除いて、美しく穏やかな水流を作り出すのです。

 

そうしてウサギに作られた世界は、美しいのかそうではないのか、判断するものはいないけれど、そこにたしかに広がっている光景は、ウサギが望んだ光景なのか何なのか。

 

私はウサギが何を見たかったのか分からないけれど、ウサギの心にだけ映る美しい世界がそこには広がっていて、私はただただ思うのです。

「ああ、私が望んでいた世界とは全く違う世界だな」と。

 

それは落胆でも失望でもなく、ただただウサギの中で広がる世界に触れられた感動が広がっているのです。

 

私はウサギにはなれないから世界を作れないけれど、だけど、でも、私の中で生き続ける何かがある限り、私は夢を忘れてはいけないような気がするのです。

 

そうです、私は限りある生命の中で大きな意志を持って生きているわけではありません。

だけど、「本当に叶ってほしい夢」を見た時に私は思うのです。

「ああ、あの日、あの時あの時間に、私はあの人に話しかけていれば良かったなあ」と。

 

そうすることで何かが変わっていたかもしれないし、何も変わっていなかったかもしれない。

ただそこに広がる世界だけが全てで、成り立っている感情とか起伏とかそんなの全てどうでも良くて、ただただ私は眺めているのです。

「ウサギが作った世界」を。

 

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ところで、ここまで書いていて、自分でもちんぷんかんぷんなので、心に聞いてみようと思います。

 

「心よ、この物語は何?」「メタファーです」

「心よ、何のメタファー?」「あなたががんじがらめのしがらみや固い頭をほぐすメタファーです」

 

連想力が足りないと言うのか…!

 

「心よ、では宇宙を食べるウサギとは一体何なの?」と聞いてみると、心は「それはあなたがウサギのメタファーを使った方が分かりやすいから」と言ってきます。

 

「心よ、何が分かりやすいの?」と聞いてみると、心は「それはあなたが誰かから入れられた感覚ではなくて、オリジナルに戻るという点で、あなたは“ウサギになる”と思った方が伝わりやすいと思ったのです」と言ってきます。

 

「心よ、つまりこれは“私がオリジナルに戻る呪文”なのでしょうか?」と聞いてみると、「そうではありません。あなたがオリジナルに戻るために必要なのことは、あなたが“ウサギは自分の中の何なのか”と考えることです」と言ってきます。

 

「心よ、私はウサギの何なのですか?」と聞いてみると、心は「ウサギはあなたの心象風景を表しています。それはたとえば寂しさであったりとか憎しみであったりとか。それをウサギが食べることで、あなたは純真な真っ白な毛並みのウサギに戻ることができるのです」

 

「そうしたら、鉱物の違いが分からなくても、あなたは“違いが分かる人”になれるのかもしれませんね」