無意識と私と羊雲に乗って

催眠療法と無意識さんに魅せられた人。

母親との利害関係

母親との利害関係というと、私が損をして母親が得をするとか、母親が得をすることによって私が搾取された気持ちになることを言うのかなあと心は言っています。

 

これが何なのかというと、無条件の愛をくれるはずの母親が「私に得を求めている!」となった時に、私の中で発作が起きます。

 

どんな発作なのかというと、それは「母親が私から搾取しようとしている!だから私も自分を守るために破壊的なモンスターにならなければ!」と変身することです。

 

そうして「破壊的なモンスター」に変身した私は、母親に対して憎しみや恨みをぶちまけることで母親を退治しようとします。

 

だけど母親からは何倍もの攻撃力で返ってくるので、私は母親に太刀打ちできません。

 

だから母親にとって「良い子」の自分になって、母親の目に映る「私」が母親に害をなさない存在であると見せる必要があります。

 

そうすることで、母親からの嫉妬の発作や孤独の発作から逃れられると、私は「自由に生きられている気」がするわけです。

 

多重関係の話でいうと、私は長年「母親のカウンセラー役」をやってきました。

母親が愚痴を言ったら丁寧に聞いてあげて、母親が怒ったらなだめるような言葉を掛けてあげて、母親が発作を起こさないように自分を守りながら生きてきたのです。

 

そうやって身についた「護身術」のようなものがあって、それが「母親との関係」で再上演されるトラウマの傷を見ないように隠していた私の生き方だったのかもしれない。

 

そんなことを思いながら、「母親」と思い浮かべると、私は人生の大半を母親と家族と喧嘩してきた記憶しかないのです。

 

幼少期は妹と口を開けばしょっちゅう喧嘩をしていて、父親や祖父母からは怒鳴られ、母親には無視される。

私は家の中で腫物扱いをされていて、テレビのある部屋でみんなと一緒にテレビを見ることができなかった。

 

だからか、そこで思い出したのは「私はテレビが嫌い」ということなのです。

 

今の彼氏は部屋につくなりすぐテレビをつけたがっていて、私はテレビが大嫌いなので、部屋にテレビを置いていません。

 

なぜテレビが嫌いなの?と言われたら、さまざまな音や人の声が不快に聞こえるテレビが「うるさくて」嫌いでした。

「私は静かに暮らしたい」とそう思っていたのです。

 

だけど、もし、私が幼少期から今まで「家族団欒でテレビを見ることが出来なかったトラウマ」があるのだとすれば?

私がテレビを毛嫌いしている理由も分かります。

 

私は、人との一体感が、本当に持てません。

人と親密になることが、身の毛もよだつほど、吐き気がするほど無理でした。

 

なぜなら、「人からプレゼントをもらう」というだけでも捨てたくなるし、触れられたくないし触れたくないし、自分でも「そこまで人を嫌わなくても…」と正直思います。

 

だけど、それがもし、家族との関係で構築されたトラウマで、人と親密になれないのが私の人生のテーマだとすれば、「喧嘩をせずに良好な関係を構築する」ということほど私にとって難しい問題はありません。

 

私は、人と争いたくないのです。

だけど、私は人と争ってしまいます。

 

それは時に、相手が嫌がることを言ってしまったり、相手をわざと怒らせるようなことをして愛情を試すような行動をしたり。

 

だけど、私は人に愛されたいと思っていないのです。

私は愛されなくてもいいから、一人で淡々と静かに暮らしていきたいのです。

 

そう考えた時に、「母親」の支配があったからこそ私は「人と積極的に」関わり、そうして「人の話を聞き」、そしてまた「人を愛すること」を知ったのです。

 

私は、母親に愛されて育ちました。

それは生まれた時に一度死んだからかもしれないし、母親が私に執着している理由は分かりませんが、私は過剰なほどたくさん母親に愛されて育ってきたことを今さら知るのです。

 

私はずっと、「母親に愛されていない」と思って、母親に怒鳴っては愛を確かめようとしていたのかもしれない。

「そこに愛がない」ことを何度も証明した挙句、私は一人ぼっちになっても母親を忘れることができませんでした。

 

でも、もし本当に私が「愛を求めていない」のであれば、今までのことに全て符号がいきます。

「私は誰にも愛されたくなかった。ただそこには静寂だけが広がっている空間で、静かに私だけの生を感じられば良かった。」

 

「だから人との一体感なんて必要ないと思ってた」