無意識と私と羊雲に乗って

催眠療法と無意識さんに魅せられた人。

待ち人来ず。

おみくじで「待ち人来ず」とか「待ち人必ず来る」とかそんなことを書いてあって、「待ち人」って要は恋愛対象の人なのかなと思っていました。

 

だけど広くは「あなたの人生に影響を与える人」がもうすぐ来ますよとか来ませんよとか、そんなことを勝手におみくじは教えてくれるのです。

 

もし本当に自分の人生がおみくじ一枚で決まるとしたら、私にとってそんなに楽なことは何もないでしょう。

 

明日の夕飯も今日食べたご飯も、今日使うお金の額も誰に会うか誰と喋るか、そんなことをいちいち自分の脳で考えて答を出すのは疲れてきます。

 

だから「心」に聞いたり指を振って中指ビンゴで確かめたりすると、「もうそれ以上悩まない」というふうに持っていけます。

 

私はこれまでも散々悩んできて、常に頭の中でバックグラウンドでいくつものウィンドウが開いたままになっていました。

 

だからパソコンの電源を切ったらそのウィンドウが全部閉じてしまうように、私も自分の脳を休めることが出来ずに常にフル回転で考えていたもんだから、いつも何か消耗していました。

 

だけど最近は「ま、あとで心に聞けばいっか」と思えるし、FAPをすれば一瞬で答が出るので、ムダに最適な答を出そうとウジウジ考えることが少なくなりました。

 

だから、たとえばさっき私は美容院に行ってきました。

しかしあろうことか、お釣りとレシートをもらいませんでした。

 

FAPをやってもらってからはこういう事態になった時に咄嗟に「お釣りもらってませんけど!」と言える強気になってたのですが、どうも最近また言えなくなってしまっています。

 

なので心に聞いてみましょう。

「心よ、どうして私はお釣りをもらっていないことを咄嗟に言えなかったのですか?」

そうすると心は「それはあなたが遠慮して…って普通は思うじゃない。だけどそれは違うくて、普段あなたは怒りを原動力にして生きてきていたから、その怒りが抜けてきた時に“ま、いっか”と思ってあなたの無意識に任せることができるようになる」と言ってきます。

 

確かにインサイトで治療を初めてから私は「人に反論できない自分」を恥じていたことを知って、何でもかんでも疑問に思ったことはガツガツ言える人になっていました。

 

でも、それは本当に望んでいたことだったのか?

 

私は幼少期から「嘘吐き」でした。

どんな嘘を吐いていたのかと言うと「他人の話に上手く合わせる嘘」を吐いていました。

 

それは他人に反論できない自分であったり「いや、そうじゃなくて」と言うと相手が傷つくと思っていたり、また「相手の話を分かっているふりをしないと!」というムダな共感能力から来るものでした。

 

実はこの「ムダな共感能力」が最近になってまたぶり返してきてしまっていて、以前散々「知ったかぶりはいかん!正直に生きねば!」と思って異常に正直に生き過ぎてドン引かれていました。

 

で、知ったかぶりをしないだけならいいのですが、言わなくてもいいことまで曝け出すというか、ただの暴露女になっていたんですね。

 

あけすけと理想の自分は違うかったわけです。

 

それで、異常に正直に生き過ぎた私はそれがそろそろ「美しくない」と思ったからなのか、今度は過剰に「知らないふり」をするようになったのです。

 

どういうことかというと、相手に「マウントを取っている!」と思われないように、精一杯「物事を知らないふりをする」のです。

 

実はこれも昔からしょっちゅうやっていて、私としては「何でみんなそんなことも知らなかったんだろう…私は昔から知ってたけど」みたいな嫌な感情があって(笑)でもそれを出すと相手に「マウントを取られた!」と思われるのが嫌だった。

 

だから今日も美容師さんが「僕、アップルウォッチ欲しいんですよね~」と言った時にさも常識人の顔をして「そうですよね~高いですもんね~。持ってたら絶対恰好いいですよね!」という全力で話を合わせにいきます。

もちろん相手は私が「自分と同じくアップルウォッチを持っていない人」と認識します。

 

だけど私は数年前からアップルウォッチを持っているし、それに飽きて今は使ってないという。

でもそれを美容師さんに言うと「なんやコイツ、自慢してきてるんか」と思われるのが嫌で黙っていると、たいていの場合相手が上から目線になります。

(この美容師さんは全然上から目線じゃない人なので、そんなことないと思っていますが…お釣りを渡し忘れないでほしい…笑)

 

そうやって私は「相手が不快にならないように」いつも本当の自分を隠して会話をしてきました。

だからきっと相手に誤解されることが多くて、私は何にも知らないバカだと思われているかもしれません(笑)

 

だけど「無知なバカになる」というのは、昔の私の夢でもあったのです。

「どうして私は人より知識があるのだろう…」「人より難しい漢字が読めるのだろう…」そう思った時に、「物を知らない他人」にイライラしてきます。

 

私は小学生や中学生の頃、広辞苑をあ行から順に別のノートに全て書き写して写経のようにしていたことがあります。

それで虹の色の種類や覚え方も知っていたし、難しい漢字の読み方も知っているし、季語やその他のこともたくさん人よりも知っていたのかもしれない。

これを書いている今も「え、普通人は虹があだきみああむなの知ってるよね?」という不安があるぐらい、自分の中の常識を他人が知らないことに驚く方が多かったのです。

 

だからか「私がバカだったら、他人と話が合う」と何度思ったことか。

だけど、自分が知ってる話をさも自慢げにされることほど苦痛なことはないと知ったのです。

 

そうして知ったら、たぶん怒りが出てきてしまったのでしょう。

だけど「私知ってるねん!」とマウントを取ったような形になることにも疲れてきたわけなのです。

 

だから本当は、自分の知らないことを知っている人から「教えてもらう関係」というのがちょうど良いのかもしれない。