無意識と私と羊雲に乗って

催眠療法と無意識さんに魅せられた人。

ふわふわ羊雲は誰のもの?

心に私のことを聞くと大抵「そんなことはない」みたいな返答が返ってきます。

 

たとえば「心よ、私はお腹が空いているの?」と聞くと、「それは誰かの感覚」と言われたり、「心よ、私は怒っているの?」と聞いてみても「それは今思い出した人の感情を受け取っている」と言われたり。

 

心理学用語で言うと、『リフレーミング』に近いことをしていると思います。

自分の思い込みの枠から抜け出す。

 

だけど、もし私のこの今感じている感情が全て「他人のもの」だったらのならば、私は一体何なのか?何も感じていないのか?

では、生きている喜びとかそういうものもないのか。

 

以前、大嶋先生が講座の中だったと思うのですが「人の感情は波のようなもの」と表現されていました。

波だったか風だったか、どこかから吹いてきたものが草原にザーッと波立って草をなぎ倒していくあの状態です。

 

誰かから流れてきた感情が私にも伝染して、そしてまた他の人にも伝染する。

 

潔癖な私は「人の不快な感情なんて受け取りたくない!!」と思ってしまいます。

だけど、その「人の感情」を受け取らないと、人と一体感を保てないのかもしれない。

 

誰かの感情を受け取った時に、「ああ、私はこういう感情をしている」と思っていたのに、他人も同じく「あ、私と同じことを思っていた/感じていた」と知った時は、喜びがあります。

 

私はその喜びを感じるために「不快な感情を拾っている」と思うと、排除したくなるようなネガティブな感情も何かの役に立っているわけなんです。

 

「共感能力」とか「HSP」とかさまざまな言葉で「人から受け取っちゃう人」というのが説明することができます。

では、なぜそのような「敏感な人」が(能力的に)生まれてくるのか。

そんな能力持っていても苦しいじゃないか!と思う人も中にはいるのかもしれない。

 

「人から受け取っちゃう敏感な人」というのは、羊雲に例えると「羊のようにまとまってふわふわ浮いている雲」ですが、その学術的な名前は「高層雲」であり、空に広く薄く広がっている雲です。

 

この高積雲が大きくなっていくと、地上が暗くなったり雨が降ったりと言われます。

 

一人だったら何ともなかった感情も、何人かのグループで集まると大きな波を生み出します。

その生み出された波がどこに行くのかは、風の流れに任せることで決まっていくのかもしれない。

 

だから空にふかふか浮いている羊雲を「私のもの!」としない限りは、やがてその群はどこかに移動して、誰かの頭上で発達したり消えていったりするのかもしれない。

 

そうすることで、誰の頭の上にも平等に雲は広がっていて、季節によって入道雲に変わったり、イワシ雲やその他の雲に姿形を変えて移動していきます。

 

あの真っ黒な雷雲も、今にも雨が降り出しそうな曇り空も自然と発生して、そしてやがてどこかへと消えていきます。

 

感情というのは名前を付けた瞬間に消えてなくなったりします。

だからあなたの頭上の雲も「怒り」であったり「不安」であったり「恐怖」というような言葉に変えてみると、みるみるネガティブな感情が消えて行って自分らしく生きれるのかもしれません。

 

それと同じで、心に「相手のもの」と聞いたときに「あの人の感情」とカテゴライズすることで自分の自己免疫が暴走せず、頭痛なども消えていきます。

 

発生源や理由や正当な名前を知ることで、それらの感情の対処方法はみるみる内に変わっていくのかもしれませんね。