緊急でブログ書いてます。
今、緊急でブログ書いてます。
なぜなら、電車の中で読んでいた漫画に感化されたのか、それとも昨日のFAPの効果なのか分からないけれど、「涙が止まらない!」。
(発作か?(笑))
理由は、一つは「お金のトラウマと母親」です。
母親に「申し訳ない」という気持ちが大きく、ひたすら頭の中で「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」と呟いている状態である。
そんな時に、もう一つの大きな感情の波が生まれてきたのです。
『私は人生をやり直したい』
この気持ちはもちろん、この長い人生の中で何度も考えたことがある。
だけどそれは、どちらかというと悲愴に浸っているというか、自分の悲劇を嘆いているようで喜んでいるようなそんな悲劇のヒロイン的な感情であった。
だから、今、この湧いてきている『人生をやり直したい』という気持ちは、「もっと家の家庭がこうだったら…」「もっと両親が話を聞いてくれたら…」と確かに思うけれど、私の人生はどれだけ遡っていっても、救いがないのです。
それは大きなトラウマがあるとかではなくて、逆にトラウマが見当たらないのにずっと人生が苦しいことなんです。
さっき、保育園の年少さんまで遡りましたが、その時点ですでに病んでいました。
その頃からしんどくて息苦しくて、じゃあ私は一体いつからこの苦しさが続いているのかと考えた時、もしかしたら「生まれた時から」かもしれないんです。
トラウマというのは、状況記憶と感情記憶が適切に処理されずにバラバラになった状態なので、覚えていないのだと思います。
だから、覚えていないことを特定しようとしても分からないし、何が真実なのかももう確認しようもないから、今私に出来ることは「ちゃんと自分の能力を認めて、生き直すこと」なんです。
私には、知能のコンプレックスがあります。
簡単にいうと、私は「もっと賢くなりたかった!」と思っています。
IQ200ぐらいは欲しかったですね。
だけど、それって自分の知能(賢さ)を認めていなかったから、ずっと自分がバカだと思っていたんですね。
だから私は大嶋先生にも質問したし、そうしたらあの境界性知能の話が始まったんです。
だけど、私の知能のコンプレックスというのはまだちょっとあって、それが何なのか?と思った時に、今回の『人生をやり直したい』に繋がるのです。
私は本当に、頭が良かったんです。
脳梁の働きが良かったというか。
この帰り道にずっと思い出していたのが、ミヒャエル・エンデの『果てしない物語』を3日で読んだ私が、今はその5分の1の分量の大嶋先生の書籍を最短で1か月~3か月かけて読んでいる不思議。
昔は一日に本を3冊ほど読んでいたのに、あの頃の私はどこへやら。
全く文字が読めないんです。
だけどそれも『自分の能力を認める』と思った時に、なんだか一日で何冊も読破できるような、そんな不思議な感覚が起こってくるのです。
そう、もしかしたら、これが俗にいう「嫉妬にやられている」状態なのかもしれません。
大嶋先生の「怒りで知的リミッターを解除する」はなかなか良かったのですが、私は何かに怒っていたのか、それとも自分に怒っていたのか。
「心よ、私は自分の能力を封印していたのでしょうか?」と問いかけてみると、心は相変わらず「そうですね、あなたが封印していたのは母親との記憶です」と言ってきます。
そうです、先ほどまでの強烈な『人生をやり直したい』衝動は、私が21歳の頃に家出した時のことが何度も頭で反芻されていて、とても苦しかったのです。
ある夜、母親に最寄り駅まで送って行ってもらった時、何かで大ゲンカしていて(常に高校の時から大ゲンカしていたけれど)「もう家に帰らないから!」と捨て台詞を吐いて本当に帰らなかったんですよね。
それから8年間、私は一人暮らしをして、その間に出来たトラウマが「お金のトラウマ」。
母親は、毎月私の口座に1万円振込みます。
私は正社員じゃなくてアルバイトで、大阪の最低賃金で働いていたものだから、安いマンションだったけど微妙に生活費が足りなくて、月末は必ずおろしに行っていたんです。
でも、一人暮らしの年月の半分は彼氏を取っ替え引っ替え同棲をしていたから、そんなにずっと一人ではなかったはずなんだけど、(多分8年間の内の1年間ぐらいだけが一人だったんだと思うけど)何だか強烈な孤独の感覚が私の中に残っているのです。
だけど、実家にいても一人だし、一人暮らしをしたらしたでお金がなくて「お母さん、ごめんなさい」とずっと心の中で呟きながら、毎晩98円のポテトチップスと具のないうどんを食べていたんです。
それがもう本当に今思い出しても悲しくて悲しくて…
だから私は、月収が50万円を超えても「お金がなくなる恐怖」が昨年まであったのです。
その恐怖がなくなってドーン!と使ってしまった時、私はヘルニアになって、その後今のサロンに移るためにどんどん稼げなくなって、再び「お母さんごめん」と「お金がなくなる恐怖」を味わっているわけなんです。
(恐ろしや)
それと自分の「能力」がどう関係あるのかというと、やっぱり「自分の能力に見合った仕事をしていない」となるのです。
じゃあ、私の能力に見合った仕事って何なんだろうとなった時、心に聞いてみます。
「心よ、私は何の仕事が向いているの?」と聞いてみると、「写実画家」と答えてきます。
そうでしょうね、私は知能の中でも特に知覚推理と処理速度が高いので。
「心よ、それは現実的ではないので、もっと稼げる職業はないのですか?」と聞いてみます。
すると心は「それなら教師が向いていると思います」と言ってきます。
いやいやいや、と思って(それは小学生の頃にめちゃくちゃ慕ってくれてた子に「教師向いてるよ!」と言われてたからでしょ、と思います)「心よ、教師って稼げるの?」と聞いてみると、心は「あなたが知能のコンプレックスを持っているのは、あなたのせいではなくて母親の影響」と言ってきます。
「心よ、母親のどんな影響?」と聞いてみると、実家にいた頃の嫌な思い出がさまざま浮かんできて、暗い気持ちになってきます。
「心よ、私に向いている職業はどんなもの?」ともう一度聞いてみます。
そうすると心は「あなたは向いている職業以前に、もっと自分に気を遣いなさい」と言ってきます。
「心よ、私は自分にどう気を遣えば良いの?」と聞いてみると、心は「それはあなたが寝不足だから知能が下がったんでしょ」とさも簡単なことのように言ってくるのです。
「心よ、私の“人生をやり直したい”というこの強烈な感覚は誰のもの?」と聞いてみると、心は「それはあなたのものではない。あなたは偽りの快感から脱した時にそのような感覚になるかもしれないけれど、それは母親に入れられた“本当の自分を隠すためのもの”」と言ってきます。
まあ、何となくそう感じるところはありました。
2000文字書いておいて今さらあれですが、「泣く」ということは「発作かなあ」とも考えないことはなかったのです。
「心よ、本当の自分とは何?」と聞いてみると、「あなたが偽りの快感から抜けれらた時に見る世界は、他のどの世界よりも素晴らしいのかもしれない。なぜなら、まっさらな気持ちで見る世界は、あなただけのものであり、母親のものではないから」。
本当は、心に「このブログは今日書かなくて良い、明日書け」と言われていて、今ほのかに「なるほど、たしかに明日にしておけば良かった」とちょっと後悔しているところです(笑)