失読症と遺伝子。
私は最近、メールを読むのが苦手です。
本業でも公式LINEというものをしているのですが、よくLINEの内容の取り違えをしてしまいます。
うちのサロンのオーナーのLINEも、よく読み違えてお互いに怒ってしまう事態になりがちです。
そうかと思えば、長文のやり取りをしていてもしっかり内容をお互い理解しあって、私も読み違えたりせず返信できているメッセージもあります。
じゃあ、ちゃんと内容を読めるメッセージと読めないメッセージの何が違うのか?
話は変わりますが、私は昔はものすごく読書家だったのに、今はからっきし本を読めません。
文字だけだと読めないので、カラーペンで線を引いたりイラストがないと読めなかったりするのです。
だから、本の全てのページにたくさんの線が引かれてあって、それを見た人から「結局どこが大事なのか分からないやん!」と言われます。
それが、その前に起こったのは、20代の最後に公務員試験の予備校に行っていた時ですね。
多分、あれはその時すでに文字が読めなくなっていたから、至るところに線を引いていて、知らない人から見たら「どこが大事な箇所か分からないやん!」という状態になっていたのだと思います。
だけど、公務員試験の勉強を始める前の、心理学系の大学に行ってレポートを書いている時は全くそうではなかったのです。
ちゃんと『大事』というところだけに線を引けていて、全ての文章に線を引くということはなかったんです。
その前に起こっていたのが、私は「文字に色が見える」というコミュニティに入っていて、それが“共感覚”だというのを20代の前半頃には思っていました。
さて、私はいつから文字が読めなくなったのか?
記憶力もそうだけど、“読書”というのは私の記憶力と同じぐらい、私にとって大事な能力だったのです。
ふと、これを書いていて「あれ?もしかして記憶力と読書って関係ある?」って思った時に、私は自分の知能のことを思い出します。
昨年の夏に知能検査を受けに行ったのですが、まあひどい環境で、たぶん本当はあんな環境で知能検査は行わないんじゃないか…というようなところでの検査でした。
とたえばそこは、とても狭いトイレぐらいの広さの部屋で壁が薄く、廊下や隣の部屋からギャンギャン声が聞こえてくるし、検査してくれる人は最初から色々忘れ物をするし、慣れてないからか検査はちっともスムーズじゃなくて、いちいち「ちょっと待ってください」と遮られる。
その内に「私が間違っているのかな…」という気持ちになってきて、だんだん頭痛がしてくるのです。
頭痛がすると、私は極端に認知能力と記憶力が下がり、今目の前で言われていることすら理解できないし覚えられないんです。
(ちなみにこの症状がひどすぎて、前の職場を辞める決心をしました)
脳梁の働きが悪いのか、ワーキングメモリーが低いから「記憶できない!」となかなか読み進められないのか。
一方で「記憶力いいね!」と言われることもとても多いのです。
嫌な記憶はもちろん、ムダな知識や偏った感じでの物事の覚え方ですね。
私はわりと「一度読んだら忘れない」というような特殊能力を過去に持っていたと思います。
記憶力は本当に自信があったんだけど、いつからか記憶力がどんどんなくなっていき、やがて文字が読めなくなり、LINEすら読めなくなっていく…。
これが「老化」だと言われればそうかもしれない。
そこで、先日大嶋先生の呪文講座があったので、呪文を作ることにしました。
「老化」と思ってみて、この無意識の扉を開けるのは「扇子と小池」です。
(結局、老化なんかい!(笑))
その心は…扇子を扇ぎながらゆったりと家の縁側に足を伸ばして座り、広い庭の小池を眺める。
庭には白い石が敷き詰められていて、小学校の運動場よりもちょっと小さいぐらいの大きさである。
今は夏で、私は浴衣を着てきて、扇子を扇いで顔に風を送るのです。
ここまで書いて、「あ、もしかして時間がないから、脳の容量が減っているのかも!」と気づきます。
でも、昔も時間があったわけではないんだけどなあ、とも思います(笑)
「老化」を受け入れられないのは、私がまだ未熟だからかもしれないし、私がまだ母親から子離れ親離れできてないからかもしれない。
で、結局なぜ文字が読めなくなってしまったのか?
「心よ、どうして私は最近文字が読めないのですか?」と聞くと、心は「それはあなたが休みたいから」と、上で作ったスクリプトのようなことを言ってきます。
「心よ、もしかして文字が読めないのではなくて、無意識に返事をしたくなくて、相手がLINEをしてこないように、わざと読めてない感じの内容を返信しているのですか?」と聞くと、心は「そうです。あなたはLINEの返信よりも自分がしたいことがある。それが大事であればあるほど、優先順位の低いメールやLINEには言い間違いが多くなる」と言ってきて「へ~!」と思います。
心に聞くと、私を必ず責めない答が返ってきます。
私は、自分が相手の送ってきたLINEの内容を読み間違えて送り返したことに、ものすごく罪悪感を感じます。
自分が文字を読むのが苦手だと分かっているのに、流し読みで返信してしまって、やっぱり内容を取り違えてしまっていた…。
「分かっているのにやめられないこと」「何度も繰り返してしまうことの裏には罪悪感がる」という大嶋先生の言葉を思い出します。
ということは、私が特定の相手や特定の状況で何度もLINEをちゃんと読まずに読み間違えて送ってしまうのは、私の無意識が何らかの作用で働いているとしたら?
「心よ、私が文字が読めないことの裏に、罪悪感があるのですか?」と聞いてみると、心は「そうですね、あなたは自分が“相手に認められていない”と思っている時に、わざと能力が低いように見せる癖があります」と言ってきます。
また「認められていない」話かい!(笑)
「心よ、なぜ認められていないと、私が能力を低く見せてしまうまたは能力を発揮できないのですか?それは嫉妬ですか?」と聞いてみると、心は「そうですね、それは嫉妬でもあるし、あなたが相手に許していない心がある時に、あなたは相手の前で失態を犯す」と言ってきます。
「心よ、私の相手に許していない心はとは何ですか?」と聞いてみると、心は「それはあなたが相手を信頼するに値するかどうかを知的に判断した時に、あなたの心(私)はあなたが判断した通りの現象を起こします」と言ってきます。
「心よ、その現象はいつも一緒なの?」と聞いてみると、心は「そうですね、それはあなたが意識しているしていないにしろ、“相手を無視する”という受動攻撃になります」と言ってきて、私はここで「なるほど!」と思います。
この場合の“無視”というのはメールやLINEを返信しないということよりも、「話を理解しない人」というアスペルガー症候群のような症状を出すことです。
あ、だから私は人からよく「アスペルガーですか?」と聞かれるのか(笑)と思うと同時に、そう言ってくる人を私は「信頼してはいけない」のかもしれない。
私は、FAP講座など大嶋先生繋がりで知り合った方がすごいな!と思うのは(もちろん今の本業のお仕事でもそういう方はたくさんいます)、私がどんな的外れな回答をしても、そこから繋げてくれたり汲み取ってくれる天才が多いということです。
「そんなこともあるかもしれない」と捉えてくれる方と、私は松竹梅(知能指数)の部分で同じものを持っていて、それで嫉妬したりされたりから無縁の関係になっていくのかもしれない。
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私の愛用の蛍光ペンは「ジャストフィット モジニライン」です。
筆ペンのようにやわらかい筆先になっていてオシャレなのと(普通の蛍光ペンは固いですよね)、裏移りがしない蛍光ペンです。
(薄すぎるぺらっぺらの紙だと裏移りはするので注意です。大嶋先生の青山ライフ出版の分厚い本は、だいたいのペンが裏移りしていまいます)
しかし、なかなか売ってるところがないのが難点ですね。