無意識と私と羊雲に乗って

催眠療法と無意識さんに魅せられた人。

白馬に乗った王子さまはやってこない。

白馬に乗った王子さまはきっと、私の前に現れるのは何光年先なのかもしれない。

 

だけど、私はいつまでも「自分を救ってくれる王子さま」の存在を夢見て、今日もがんばって生きるのです。

 

「良い子にしていたら、サンタさんがプレゼントをくれにやってきてくれる」と同じことのように、「私が清く正しく良い行いだけをしていれば、白馬に乗った王子さまがやってきてくれる」とそう信じていたんです。

 

でも、現実は「良い子」になって相手の話を聞いて共感してあげればあげるほど、なんだか自分の中からどんどんどんどん吸い尽くされて、「相手のワガママを聞いてあげなければならない!」という状況になりがちです。

 

私が女神さまになればなるほど相手は発作を起こして、私に何を言っても良いしても良いじゃないけれど、だんだんふてこい態度になってくるわけなんです。

(“ふてこい”というのは関西弁で、“ふてぶてしいやつ”という意味です。まあ、相手の態度がでかくなるんですね)

 

だから私は自己犠牲をやめて、相手に尽くす自分よりも「自分に尽くす自分」にならないといけない。

 

では「自分に尽くす」とは、具体的にどういうことをやればいいのか?

心に聞いてみます。

 

「心よ、私はどう自分に尽くしたら良いのですか?」と聞いてみると、心は「そうですね、あなたは過去の体験から“自分が尽くさないと関係が成り立たない”と思っているかもしれませんが、自分に尽くすということで自己犠牲をやめるというよりは、ちゃんと自分のために時間を割いてください」と言われます。

 

「心よ、私は今、自分のために時間を割けていませんか?」と聞いてみると、心は「そうですね、時間を割けていないと言えばいませんが、もしあなたがもっと人生を楽に生きたいのであれば、時間を効率的に使うことよりは“何に専念したいのか?”焦点を絞ることです」と言ってきます。

 

「心よ、私は実際、何に専念すれば人生が上手くいく状態ですか?」と聞いてみると、心は「そうですね、あなたは自分が思っている以上に疲れていたりしんどかったりするかもしれないけれど、健康に注意をするというよりは、あなたはもっと美味しいものを食べて、歯磨きをちゃんとして、寝ること。これだけで十分です」と言ってきます。

 

心は正直に私の今の状態を教えてくれたりします。

 

もし私が今、動けないのなら、それはなぜかというのも答えてくれたり、自分の思っている範囲以上の“無意識の領域”での回答をくれるのです。

 

だから心に「心よ、私が時間に間に合わないのはどうして?」と問いかけると、心は「そうですね、それはそもそもあなたが“時間に間に合いたくない”と思っているからでしょう」と言ってきます。

 

「心よ、それは私が相手をリスペクトしていないからでしょうか?」と聞くと、心は「そうではありません。どちらかというと、あなたのリスペクトというよりは、無意識が“それをしたくない”と拒んでいるからでしょう」と答えてきます。

 

「心よ、どうして無意識が“それをしたくない”と拒むのでしょうか?本当にしたいことではないからですか?」と聞いてみると、心は「そうですね、本当にしたいことしたくないことの境界線は非常に曖昧で、あなたが意識で考えれば考えるほど、どんどん時間に間に合わなくなっていきます。だから、“どうして時間に間に合わないの?”と考えるよりは“無意識はそれを求めていない”と思ってみると良いでしょう」と言ってきます。

 

「心よ、それは意識を棄却して無意識を起動する方法ですか?」と聞くと、心は「そうですね、その通りです。だけど意識を棄却したところで、あなたが“本当にしたいこと”に辿り着くというよりは、“したくないことを捨てる”ということで無意識を起動して、生きやすい楽な人生にしていきます」と言ってきます。

 

「心よ、それはゴミ箱にゴミを捨てるのと同じことですか?」と聞いてみると、心は「そうですね。ゴミを持ったままだと、大切なものを手に入れられないので」と言ってきます。

 

意識では「完璧にこなさないと」とか「あれもこれも間に合わせないと」と思います。

 

だけど、もしそれが「自分のしたくないこと」であった場合、意識を棄却することによって、新たな可能性が見えてきます。

 

それが「心の大掃除をする」ということで、デトックス的な何かかもしれません。

 

だから私は心の中の整理が必要で、それを整理していった時に自然と時間が整うのかもしれません。

 

だから私は大掃除をするように「何が自分に必要であって、何が自分はしたくないのか」を明確にしていくことで、自分のトラウマも同じく解消していけるのかもしれません。

 

心の大掃除は大変な作業です。

 

今まで生きてきた自分の人生と向き合った時に、人は、私は「自分が認められる人生を送ってきたのか?」ということに少なくとも直面するのかもしれません。

 

「自分が生きてきた人生」を否定することこそが、自分にとっての大きなアイデンティティを揺るがすことで、私は自分が納得する人生を送りたい!と思っていたけど、果たして本当の意味で「納得する人生」とは何なのか。

 

「心よ、私が納得する人生というものはどんなものですか?」と問いかけると、心は「そうですね、あなたが納得する人生というのは、あなたがもし死んで亡くなった時に“どういう生き方をしてきたのか”他人に誇れることかもしれません」と答えます。

 

「心よ、私にとってそれは大事なことなのですか?」と聞いてみると、心は「そうですね、死ぬことより生きることの方が大事なので」と返ってきます。

 

「心よ、私はどのように過ごしたら、自分が納得する人生になりますか?」と聞いてみると、心は「それはあなたが私に聞いてくれたように、自分の人生で模索していくべきです。季節が移り変わるように、その時々で人生の色合いは変わっていくものです。だからあなたはその時々で自分に必要なものが変わっても良いし、自分の信じていたものを捨てることで、そこからまた新しい道ができてくるのではないでしょうか」と答えてきます。

 

「心よ、人生とは何ですか?」と聞いてみると、心は「そうですね。人生とはあなたが生きるために要するエネルギーを凝縮した時にできる大きなうねりであり、あなたが自分の“生きたい”を認めたときに、私とともに歩む覚悟があるのならば、私はあなたの人生は何ものにも代えがたい大きなうねりを見せることを約束するのかもしれません」と言ってきます。

 

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人生の片付けといえば、この本です。

 

大嶋信頼先生の『片づけられない自分がいますぐ変わる本』。

 

これは、ネタバレしちゃうと「片づけ本」というよりは「トラウマの整理の仕方」が載っている本だと思います。

 

自分が生きていた人生と向き合った時に、そこに見たくないフタをしたくなるような苦い思い出があるかもしれない。

 

物には思い出が条件づけられているから、その物を捨てるのにものすごい抵抗が起こるのかもしれない。

 

心は、適切な時期に適切な方法で「心の傷」を取る方法を教えてくれます。

 

焦らずにゆっくりとトラウマと向き合うことで、ゆるやかで満たされた人生がそこには広がっていくのかもしれません。