焦らず夢を見ることで自分が整えられていく
私はいつも常に何かに焦っていて、心が休まらない学生生活を送っていました。
田舎の学生なので近所には田んぼしかなく、当時はコンビニもなかったので、本当に暇で暇で仕方がなかったんです。
じゃあ、お前は何をやりたかったんだ?と言われたら、やりたいことが分からない。
自分が何をやれば満足するのかを知らなかったんですね。
今でもそうなのですが、恋愛をするとそこのところがぼやけてきます。
何故なのかは分からないけれど、なぜか自分が好きなことをするよりも相手と一緒にいることを選んでしまうのです。
その結果、話の面白くない相手に対して時間をムダにした気分になったり(失礼な!)、相手と時間を共有すればするほど「自分のやらなければならないこと」というのが見えてきてしまって絶望してくるのです。
ああ、あれもやってない。これもやってない。
本来なら好きな相手と一緒にいることで休まる心というのが、逆に焦る材料になってしまっているんですね。
だから私は常に焦っていて心が休まらないどころか、相手のせいにして怒りが止まらなくなってしまいます。
この、相手にとっては理不尽極まりない言動なのですが、じゃあなぜ私がこうなってしまっているのかというと、常に「相手のために」と自己犠牲をしているところが問題なのでしょう。
「相手が喜ぶから」とか「相手がこれを望んでいるからしてあげる」ということをする内に、どんどんどんどん自分の時間を削っていって、やがて「相手のために生きる自分」というのが出来上がってしまいます。
だから私は、本来は自分のために時間を使わないといけないんだけど、それでも自分のために時間を使うことが罪悪感に繋がるのであれば、それは一体誰に申し訳なく思っているのか?なんですね。
私がきっと申し訳なく持っている相手というのは、十中八九「両親」でしょう。
だけど両親にどんなことを思って、申し訳なく思っているのか?
それはきっと心に聞いてみると、こういった答が返ってくるに違いないというものがあります。
だけど、知らないふりをして一応聞いてみるのです。
「心よ、私はどんなことで両親に罪悪感を感じているのですか?」と。
そうすると心は「そうですね、あなたが両親に罪悪感を感じていることといえば、たとえばお金のことですかね」と言ってきます。
まあ、なんとなく心当たりがあります。
「心よ、私はどうして両親にお金の罪悪感があるのですか?」と聞いてみると、心は「そうですね、それはあなたが親の金を使って学校に行ったこととか、親のお金で遊ぶこととか、そんなところに罪悪感が隠れていて、じゃあどうしたらいいのかというと、親のお金を使って盛大に遊ぶこと」と言ってきます。
「心よ、親のお金を使って盛大に遊ぶと、どんなことが起きるのですか?」と問いかけると、心は「そうですね、それはあなたが唯一持ってる罪悪感なので、あなたがお金の罪悪感を手放すと自由に遊べる」と言ってきます。
「心よ、自由に遊べるというのは、何をして遊ぶのですか?」と聞いてみると、心は「そうですね、遊び方というのはさまざまあるんだけど、あなたの場合は寝ること・ダラダラすること・食べること・時間をムダに使うこと」と言ってきます。
「心よ、それらをするとどうなるのですか?」と聞いてみると、心は「そうですね、あなたがダラダラしたり好きなことをすることによって、お腹の調子が整って元気になる!」と言います。
つまり、体の調子を整えることで、自分の焦りや怒りが少なくなるということなのかもしれません。
「心よ、私のお金の罪悪感は何歳のものですか?」と聞いてみると、心は「3歳」と答えてきます。
「心よ、3歳の頃に何があったのですか?」と聞いてみると、心は「そうですね、それはあなたが知らない内に、自分の中で“価値あるものと価値のないもの”の区別がついてきた時期ですね」と言います。
「心よ、それとお金の罪悪感がどう関係あるのですか?」と聞いてみると、心は「それはあなたが一番良く知っているでしょう。だって“お金がないと遊べない”と思っているのだから」と言ってきます。
つまり心は、「お金がなくても遊ぶ方法はたくさんある」と言っているのでしょうか。
でも、なぜ「遊ぶ」話になっているのかは分かりません。
だけど、私はそういえば、「遊ぶ」のがとても苦手です。
たとえばケイドロも苦手だし、鬼ごっこも嫌いです。
かくれんぼも緊張するので怖い。
昔、小学生の頃に鬼ごっこをするからと言われた時に即行で「じゃあ、門限があるから帰ります」と言ったことがあります。
それだけ誰かと遊ぶのが怖くて緊張します。
ああ、そうだ。大富豪とかも苦手ですね。いっせーのーせとかも。
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遊ぶとなると、どうしてもガチになってしまいます。
ボウリングでも縄跳びでもなんでも、競争することが好きなのか、競争したくなってしまうのか。
だから、「遊び」というかマウントの取り合いというか、人間関係が上手く構築できない理由にはそこにもあったのかもしれませんね。
それは人との会話の中でもあって、ただ話を聞いて同調すれば良いのに「自分の方がもっと!」と思ってしまう。
もし、「時間をムダにしたくない」というそんな気持ちがある時は、逆に思いっきり時間をムダにして使ってみてもいいのかもしれません。
私的に一番「時間のムダ!」と思っていたことは、実は『瞑想』ですね。
瞑想を始めた途端に体の至るところがかゆくなったり、全然集中できなかったりとするのは「こんな時間ムダだから!」と思っているから。
だから、もしあなたが「効率的に時間を使いたい!」と思っているのであれば、まずは自分の体の声に耳を傾けると良いのかもしれません。
思うように体が動いている人は、そもそも「効率的にもっと動かねば!」と思っていない可能性があります。
私が呼んだ中でも瞑想の本で分かりやすいのがこちら。
私は正直「瞑想って何やねん」と思っていました。
ただ目を閉じるだけで何が変わるの?と。
でも、そうではなくて、瞑想とは「自分の体の中心に軸を整える」ことなんだと思います。
瞑想をして、他に思考が飛びそうになった時に「今ここ」に戻ってくる。
人間は、チャンスも人脈も活かせる時は「今ここ」をちゃんと生きて適切に表現できている人なんだと思います。
だから、私は過去でもなく未来でもなく「今ここ」に、戻ってくる必要がある。
瞑想をして「あ、今飛んでた」という瞬間をきちんと感じることで、自分が普段どんなことを気にして何を考えているのかを把握することができるのかもしれません。
まあ、それ以外にもたくさんの効果はあります!