無意識と私と羊雲に乗って

催眠療法と無意識さんに魅せられた人。

しわ寄せは明日に回さない。

「ま、明日やればいっか」が何回も何日も続くと、やがてやるのが面倒くさくなるほど山積みの用事がそこにあります。

 

そうして目の前の山から逃げて、下に流れる美しい渓流ばかりを眺めているのです。

 

「あの山に登れば、私の欲しいものがあるのかも」と思う反面、その山に登る苦労と要する時間を考えると、とても億劫になってしまう自分がいるのです。

 

だから丘の下でサラサラと流れる渓流を見ながら、「ああ、私もいつかあそこに住みたいな」とそんなことを考えるのです。

 

だから私は「明日に回そう」と思った時に、同時にその美しい渓流を見ながら「私の家は泥水が流れている」ということを何度も無意識化で確認してしまっているのです。

 

私は、部屋が片づけられない人でした。

それどころか、物事に取り掛かるまでの時間がかなり掛かり、集中力もすぐ途切れるような典型的なのび太くん!みたいなところがありました。

 

そして、人に頼らずに自分でやりたい!というプライドもあったものだから、やるのが遅い上に仕事にとても時間が掛かってしまうわけなんです。

 

もっと要領良くやればいいのに…と自分でも思うんだけれど、要領良くやると自分の中の何かの才能が潰れてしまうような気がして、自分のやり方やこだわりを曲げることができなかったんです。

 

きっと他人から見たら「何でそんな要領の悪いやり方でやってるの?」と突っ込まれるでしょう。

 

一個は、読書ですね。

 

私の読んだ本や参考書は、ほぼ全ての文章にマーカーが引いてあり、ほど全てのページに付箋が貼ってあり、ほぼ全ての文章をそのままノートに書き写しています。

 

他の人が見たら「どこが大事か逆に分からない」ということらしいですが、私にとったら「要領良く記憶するには、書き写すのが一番!」と思っていたり、「二度教科書を読むのが面倒だから一回で覚えられるように」とやっているのがこの方法なようなところがあるのでしょう。

 

だから、何をやるにもすごく時間が掛かるから、それで小学生の頃はよく学校で怒られてたんですね。

 

食べるのも遅いし、宿題するのも遅いし、何をしてもちょっとどんくさいところがある世間知らず。

 

そんな私が大嶋先生の本と出会って気づいたことはたくさんあって、たとえば「自分が知能が高いかもしれない」ということや、「自分は他人から嫉妬されていたのかもしれない」ということですね。

 

それらが分かってじゃあ何やねんと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、知らないままでいることと知っていて取り組むことには大きな違いがあるわけです。

 

たとえば、嫉妬された時に謎に相手の機嫌が悪くなるのを知らなかったら、「あ、私が何か悪いことをしたのかな…」と落ち込んで自分のせいにして、一生懸命相手のことを考えて動こうとします。

 

だけど相手がただ単に自分の能力に嫉妬しているだけだと知っていたら、それに振り回されずに自分の好きなことに釣り組み続けられるわけです。

 

そうやって、一つ大きなことを知れたのは「自分がやる気がなかったり動けなかったりする時は、もしかしたら誰かに嫉妬されている可能性があるのかもしれない」と考えられるようになったことです。

 

大嶋先生のある本に「自分が嫉妬する自分になる」という言葉が出てきていて、それは現在の私の御守りのような言葉なのです。

 

そう、「明日に回そう」というのは、嫉妬で潰されたままの自分を放置しているのと一緒なのかもしれません。

 

やるべきことを後回しせずにやることで、「おー!自分ってこんな才能あったんだ!」と自分が一番に自分をリスペクトしてあげて、そして他人からの嫉妬も蹴散らしていく。

 

「私なんか尊敬されるところはない…」と謙虚になったり下の二割になることで、どんどん脳のネットワークでストレスを垂れ流されてしまいます。

 

だからきちんと健康な優越感を持って「自分をリスペクトする」と思った時に、「やるべきことを先延ばしせずにやる自分はなんて大人なんだ」と子供の思考回路から大人になって、嫉妬を跳ね飛ばせる体質になるのかもしれませんね。

 

まあ、一種の動けるようになる方法だと思っています。