無意識と私と羊雲に乗って

催眠療法と無意識さんに魅せられた人。

人形の館

私は最近、運が悪いです。

 

私は運が良いことだけが取り柄だったので、なぜこんな運が悪いんだろう?と不思議に思っています。

 

たとえば、お客様を怒らせるようなことをしてしまったり、間に合う時間に出ても電車が遅延したりなぜか乗らなかったりと、自分でも訳がわかりません。

 

だから、ちょっと心に聞いてみます。

 

「心よ、どうして私は最近運が悪いの?」

そうすると心は「そうだね、それは誰か人の影響だね」と言ってきます。

 

「心よ、なぜ人の影響で私の運が悪くなるの?」と聞いてみます。

すると心は「それはあなたが足を引っ張られているから」と言ってきます。

 

「心よ、なぜ足を引っ張られているの?」と聞くと、心は「あなたが誰かを思う時、あなたは少なからず足を引っ張られている。なぜならそれは相手の意思ではなく、あなたに対する嫉妬心や反抗心からである」と言ってきます。

 

「心よ、なぜ嫉妬をされると運が悪くなるの?」と聞くと、「それはあなたが成功の道へ行かないように阻止されているから」と言われます。

 

「心よ、私はもう取り返しがつかないところまできたのでしょうか?」と心に聞いてみると、心は「そうですね、今ならまだ何とかなります。なぜならあなたはあなた自身の純粋な信念や影響力を忘れていないから」と言われます。

 

心は、私の運が悪いのが「嫉妬の影響」だと言ってきますが、嫉妬されたぐらいでこんなにも悪影響を及ぼされたらたまったもんじゃありません。

 

「心よ、対処方法はありますか?」と心に聞いてみると、心は「そうですね、もし対処方法があるとすれば、あなたが“気にしない”ことは勿論のこと、相手にとってへりくだらない。そして相手が“嫉妬する自分”でいること」と教えてくれます。

 

なるほどーと思うと同時に「心よ、この場合の“嫉妬される自分”とはどんな自分になれば良い?」と一応聞いてみます。

 

すると心は「そうだね…私が思うに、あなたは嫉妬された時、大抵相手にへりくだって相手にチャンスを譲っている感じがします。なので、相手が入る隙もないぐらいあなたが輝けば良いのだと思います」という抽象的な感じで返ってきます。

 

「心よ、輝き方を教えて」と問うと、心は「そうだねー…、もしあなたが輝きたいなら、“明日の自分”を考えずに“今日の自分”のことを考えて動きなさい。そうすれば自ずと嫉妬の発作から抜け出て、あなたが生きたいストーリーを生きれるようになるかもしれません」と言ってきます。

 

「心よ、“今日の自分”のことを考えるというのは、たとえばどういうふうに?」と聞くと、「そうですね、“今日の自分”というのは、あなたが“したい未来”に繋がる未来の自分への可能性です。なので、たとえば今このブログを書きながらあなたが頭の中で“これをしたい、あれをしたい”と考えたことは、なるべく今日中にやってみてください」と答えてきて、「なるほどー!」と納得しました。

 

そっか。

明日の自分のことを考えないのではなく、「明日にやろう」と先延ばしにしないことかー!と気づきます。

 

だから、もしかしたら「明日にやろう」と先延ばしにしている時は、誰かに“嫉妬”されているのかもしれませんね。

 

そうやって心に聞いて新たな発見があると、私はすぐに行動に移せるかというと、そういうわけではありません(笑)

 

だから逐一心に聞いて確認してみます。

 

「心よ、私は今、誰に嫉妬をされているの?」

そうすると心は「それはあなたが今思い浮かべた人の中で、1番“縁遠い人”」と答えてきます。

 

「心よ、それは私のことをよく知らないから嫉妬しちゃうということ?」と聞くと、心は「そうだね、だから気をつけないといけない。あなたは“人が優しい”と思いがちだから」と言ってきます。

 

「心よ、じゃあ人がみんな怖いものと思うべき?」と聞くと、心は「そういうわけではない。なぜなら人を信頼することと人を裏切ることは表裏一体だから」と言ってきます。

 

「心よ、どうして表裏一体なの?」と聞くと、心は「それはあなたが薄々気づいているように、人は必ずしも人のことを考えて動いているわけではありません。だから、あなたはちゃんとあなたのことだけを考えて動かないと、あなたが損する自体に陥った時に、あなたが逃げ出す手段を見失ってしまうから」と言います。

 

「心よ、それで今日のタイトルは何なの?」と聞いてみます。

すると心は「それはあなたが誰かの人形になった時、あなたは自分を見失わない手段を持っていますか?」と問いかけてきます。

 

私は“人形の館”と聞くと、真っ先に思い出すのは小学校の修学旅行で行った原爆ドームです。

 

今の今まで忘れていたのですが、この原爆ドームは私の中の忘れられない恐怖の思い出なのです。

 

心に聞いてみます。

「心よ、なぜ私は原爆ドームが怖いの?」と聞いてみると、心は「あなたが原爆ドームを見て感じたことは、もしかしたら古い記憶かもしれません。だけど新しい記憶になった時に思い出すことはきっと、あなたは“人は人を傷つけるようなことをしない”でしょう」と答えてきて、ああ、そうか。私は、人が人を傷つけるようなことをしないと心のどこかで思っているから、だから戦争の話や殺人事件やいじめの話が怖いんだなと気づきます。

 

これが今回の話のどこに繋がるのかと言うと、きっと「人は人を傷つけない」を前提に生きていると、「私が損をする」ということなのかもしれない。

この場合の「損」というのは、あらかじめ定められた「損得」の損なのではなく、「私が理不尽に虐げられる損」なのでしょう。

 

それが現在の「運が悪い」という状態で物事の表面に現れてきた時に、私は「自分の行動を改善しよう」とするのではなく、「人によってもたらされた悪運は人にお返しするのではなく、それをエネルギーに嫉妬を跳ね返す方が良いのではないか」と、そう心が言っているような気がするのです。