無意識と私と羊雲に乗って

催眠療法と無意識さんに魅せられた人。

水浴びする蛙

水浴びをする蛙と聞いて真っ先に思ったのは、「蛙って水浴びするの?」でした。

 

確かに蛙は“濡れている”イメージで、乾くと良くないのかなと思います。

(河童のお皿が乾いたらヒビ割れるように)

 

しかし蛙といえば、家の近所ではひっきりなしに鳴いていて、まるで夏の風物詩がずっと続いているかのように、真冬でもときたま蛙の声が聞こえる時があります。

 

蛙というと、私にとっては“苦手”の分類に入ります。

爬虫類全般は苦手ですね。

なぜなら、なんだかぬめぬめしていて「気持ち悪い!」と思ってしまうから。

 

なぜぬめぬめしているのが気持ち悪いと思うのか、いつから蛙が苦手なのか。

そんなの「気づいたら苦手」だったのですが、何か苦手になる理由があるのではないかと思っています。

なぜなら「蛙が得意」「蛙が好き」という人が世の中にいるからです。

 

その証拠に、うちの母親は青虫が好きです。

(また青虫の話か!)

なぜ好きなのかは知りませんが「かわいい」と言って育てていたことがあります。

私が大嫌いなアゲハ蝶の幼虫など(アゲハ蝶には申し訳ないけれど)、「好き」だと言っています。

(たぶんアゲハの柄が好きなんだと思います。私にはどうしても無理ですが)

 

このように「好き嫌い」が分かれるには、何か理由があるのではないかと思っているのです。

それは遺伝の問題かもしれないし、生まれた環境かもしれないし、何が原因か分からないけれど、「どうしても無理!」の向こう側には何かそれなりの理由があるのではないかと思っています。

 

私は、長年この「幼虫が苦手」でなぜか苦しんできました。

なぜなら、血や切り傷が無理で医療関係の仕事を目指せなかったのと同じく、「幼虫が無理!」だから農業の方の道を選べなかったこと。

 

「心よ、私が爬虫類や青虫が苦手な背景には、支配が絡んでいますか?」と聞いてみると、心は「そうですね、それは支配ではなく遺伝の問題ですね」と言ってきます。

ちなみに「父親」だと心は言います。

 

確かに母親と違って、父親は青虫系が大の苦手で、私だって苦手で触りたくないのに、父が運転する車に青虫が表れた時に私は素手で車外に青虫を捨てた記憶があります。

(今、思い出しても「ひえ~!」です)

 

「心よ、遺伝の何が問題で、私は爬虫類や青虫が苦手なんですか?」と聞いてみると、心は「そうですね、あなたは父親に支配されていた時に“何が苦手で何が得意”と入れられたとしたら、それは母親と正反対のものが入っている」と言ってきます。

 

つまり、私は家系的に“長女”なので、遺伝的な支配があるとしたら母親の遺伝子ではなく「父親の遺伝子の影響」と言いたいのでしょう。

 

「心よ、ではなぜ、それが“母親と正反対”となるのでしょうか?」と聞いてみると、心は「そうですね、遺伝の支配があったとしたら、あなたは知らない内にDNAの情報で“好き嫌い”が分かれます。だけどもし遺伝情報がないと“好き嫌い”がないと言ったらそうではありません。なぜなら環境要因があるから」と言ってくるのです。

 

「心よ、私の環境要因とは何ですか?」と聞いてみると、心は「そうですね、それはあなたが“母親と違う道”で生きることで、母親の支配を如実に物語ること」と言ってきます。

 

「心よ、私が如実に物語っている“母親”の支配とはどんなもの?それは私の母親?それとも父親の母親?」と聞いてみます。

すると心は「そうですね、あなたの母親のことを指します。なぜならあなたの母親の支配というのは、父親を使って間接的に支配し、そしてあなたを奈落の底に突き落とすこと」と言ってきます。

 

「心よ、私はどんなふうに奈落の底に突き落とされているの?」と聞いてみると、心は「そうですね、今のサロンのオーナーと上手くいかないのは“母親の好き嫌い”であって、あなたの好みが反映されたわけじゃない」

ここで、私のここ数日の悩み“オーナーと上手くいかずに、集団いじめのようになっている”という問題が浮上してきます。

 

「心よ、この友人(オーナー)と青虫はどのように関係あるの?」と聞いてみると、心は「そうですね、もしあなたが“青虫が嫌い”ならば、それは誰の影響かを考えてみる。もし今“サロンを辞めたい”と思っているのなら、“あなたに今必要なこと”は何なのかを考えてみる」

 

「心よ、ではもしこの水浴びする蛙の皮膚が乾いてしまったらどうなるのですか?」と聞いてみると、心は「それはあなたが想像しているよりもっと過酷で、蛙には蛙の苦しみがある。だから誰かが“何かを好き”で“何かを嫌い”と言った時に、あなたは相手の苦しみに注目するのではなくて、あなたが心の奥底で思っている“好き嫌い”とは誰の影響かを考えてみること」と言ってきます。

 

ちなみに蛙の皮膚が乾くとどうなるのか、はっきりと分かりません。

私の無意識も、もしかしたら「分からない」ということを教えてくれているのかもしれませんね。