飴を舐めながら舌を噛む。
私の無意識さんは、時に辛辣なことを言います。
それはどんな人でもそうかもしれないけれど「え?今、邪魔が入ってます?」と思うぐらい冷たい時があります。
そんな時に、私は無意識さんにこう問いかけます。
「心よ、どうしてあなたはそんなに私に冷たく接するのですか?」と。
そうすると無意識さんは大体こう答えます。
「そうですね。あなたの心のままに」
この「心のままに」という意味がずっと分からなくて、「何が心のままにやねん」と聞くたびに思っています。
「心のままに」の意味を調べると、“思う通り”“思いのままに”という意味が出てきます。
「私の思うままに」が分からないから心に聞いているのに、いつも押し問答のように心は問いかけてきます。
「で、あなたはどうしたいの?」
大嶋先生は時に、心との対話を「自問自答」だと仰います。
私は心に「あなたはどなた?」と聞いてみると、心は「私はあなたであり、あなたは私である」と返ってきます。
この答は、私の心のオリジナルかも分からないし、もしかしたら昔に誰かが同じ質問を無意識さんにした時の回答なのかもしれない。
そんな曖昧さを感じながら、もう一度「心よ、あなたは何者なの?」と聞いてみる。
そうすると今度ははっきりとした口調で「私はあなたであり、あなたは私である」と返ってくるのです。
「また同じこと言ってきた…」と思ったので、仕方なく聞き方を変えてみます。
「心よ、あなたは私にとって、どういう存在ですか?」
そうすると心から返ってきた答はとても予想外のもので、心は「私はあなたの味方であり、あなたの父親であり、あなたの母親です。だけど勘違いしないで欲しいのは、そこに愛が溢れていないことを証明しないこと」とちょっと難しいことを言ってきます。
「愛が溢れていないことを証明しないって、どういうこと?」とまた心に聞くと、今度は心は黙ったまま、そしてやがてポツリと呟くのです。
「母親からの幻想の愛から脱却するためのお手伝いをしに、私はここにいます」と。
なんかそんなハッキリ言っちゃっていいのかな~と思って、もう一度私は心に聞いてみます。
「心よ、どうして脱却する必要があるのですか?」と。
そうすると心は「あなたが望んでいないことを私がさせるわけにはいかない」などと言ってくるのです。
どうもこのブログに書き記す時の心は、普段私が対話している心とちょっと様子が違うようなのです。
「心よ、私は本当に今、支配や邪魔はないんですか?」と聞くと「ありません」と返ってくるのですが、私は不安になるのです。
そこで「心よ、この私の不安感は誰のものですか?」と聞いてみると「母親のもの」と返ってきます。
「母親のどんなもの?」と問うてみると、「あなたが今日会うから、先に母親と繋がってしまっている」と言ってくるのです。
そんな対話を繰り返しながら、私は不思議と心が言ったことをメモしなくても一言一句覚えているのです。
普段は記憶力に自信がなくて、何でもすぐにメモするのですが、心に聞いた回答は不思議といつまで経っても色褪せずに私の中に咲いているのです。
そこで、この意味不明なタイトルのことを思い出しました。
面倒なので「心よ、このタイトルは何なの?」とダイレクトに聞いちゃいます。
そうすると心は「あなたは飴を噛む時に、舌を噛まないように気をつけますか?気をつけないでしょう。だから私が―――無意識がいつもそばにいることを、ここであなたに教えられたら、私はそれで幸せなのです」と言ってくるのです。
私は身体的に痛い話が大嫌いです。
なので「あえてその話題を選んだ理由は?」と心に聞くと「いたずら」と返ってくるのです。