悪意のある人
悪意のある人というのは、私にとって「ガーン!」となることを言ってくる人のことなのか、それとも知らず知らずの間に陥れられているようなことなのか。
私には判別がつかないけれど、そこには確かに「嫌な感じ」というのが存在している。
じゃあ、私はその「嫌な感じ」というのをどう処理した方が良いのかを考えた時に、「ああ、私は自分を卑下しているのかもしれない」と思ってしまうのです。
「卑下している」ということは、私は自分が人よりも劣っていると思っていて、また人よりも醜いから、「私は私の思う理想の素敵な人になろう」とそっちの方向で頑張ってしまうのです。
「私の中の理想の人」というのはいつも「完璧」でそつがなく、人を不快にしないし自分自身がいつも「完璧であろう」と努力している人。
だから、その努力が「自分の思う努力」に見合っていなかった時、私は勝手に自分を裁いて罰するのです。
ここまで書いて私はようやく「悪意のある人」から抜けてきた感覚がある。
そして、その「悪意がある人」は、私の小学生時代のトラウマなんだと思い出すのです。
そう、それはあるHRの光景が脳裏に浮かんできて、その中で私は一人で立って発表しているのです。
そしてその時に担任の先生が口にすることは、私を責め立てるようなことばかりで、私は完全に委縮して何も言えなくなってしまうのです。
私はずっと、「自分には意志がない」と思っていました。
何をやるにも自分のしたいことが分からないから、人の意見に流されているだけで、そんな私を見て友達は「で、あなたは本当にやりたいの?」と問いかけてくるのです。
私はもちろん「やりたい」と答えるのだけど、その真剣さが今までちゃんと伝わったことがないのです。
だから当時の担任にも「もっと全力で走れ」って言われるし、「もっとやればできる」
私はいつしか自分の意見を言わなくなっていた。
なぜ「人がこわい」と思ってしまうのか?
それは、人は私の味方をすることはないと思っているから。
だから、人がこわい。
私の言う意見に必ず反対されるし、私のことを全否定される。
だから、もう私は誰の意見も聞かずに一人で生きていこうと何度思ったことか。
私は、今回の出来事で、ここまでブログを書いて「ガーン!」となっていた理由が小学生時代のトラウマであることに気づいて、その「ガーン!」となった事象の相手が悪意があるわけではないと気づいたのです。
そう、ここでの新たな気づきは、相手は支配者とかではなく、私自身の過去にあったことに身体が反応しているということである。
たとえば、ある言葉を発せられた時に、私の頭の中では緊張とこわばりを感じて、じんわりと嫌な汗が背中を伝っていきます。
だけどそれは、目の前の人の影響でそうなっているというよりは、過去の、そう過去に体験した時の緊張やこわばりを今、目の前で投影しているということなのです。
だから、「今この現状をなんとかしよう!」と思ってもトラウマは解消されないわけだし、目の前の相手は悪意がないわけだから、いくら私が脳内で相手のことを悪者にしようとしたってできっこないんだ。
じゃあ、でも、もっと前から感じているこの不快感や違和感は何なの?と心に問いかけてみると「それはあなたの破壊欲動であり性欲動である」と言われるのです。
では、なぜ特定の人にだけこの破壊欲動と性欲動が発動しているの?と聞くと、「それはあなたが気づかぬ内に相手に投影しているから…」と答えてくるのです。
心に「私の破壊欲動と性欲動は何?」と聞くと「コントロールすることと美しいものを破壊すること。そして性欲動は、あなたがしがらみから抜け出す時にいつも感じる母親への罪悪感」と言うのです。
心に「もう少しやさしく言ってくれないかな?」とお願いすると、「あなたは美しいものを見るたびに破壊する。それはなぜかというと、心は美しいものを知っているけれど、あなたはそれを知らないふりをして受け入れないから。だけど性欲動もあるから、あなたは自分のしたいことを隠して他人になすりつけてしまう」と言ってくる。
心に「もっと分かりやすく言ってほしい」とお願いをすると、「じゃあ、あなたの性欲動は濡れた服を着たまま寒空の下に立つことで、破壊欲動はあなたが発作を起こした時にきれいにバベルの塔を破壊し尽くすこと」と言うのです。
「バベルの塔」の暗喩が分からないので問いかけると、「バベルの塔というのは、あなたが母親から教えられて積み重ねてきた罪の快感であり、神=母親に近づき過ぎた時にあなたは自ら自分の破壊欲動で神を壊し、そしてあなた自身を壊し、そして神に近づこうとする全てを破壊する」
「心よ、では今回私に起きた件を一言で表すと何になる?」と聞くと、「相手の破壊欲動を自分のものにしている」と出てくる。
「心よ、では相手の破壊欲動とはどんなもの?」と聞くと、「相手はあなたを破壊することで美しいものを壊して、自分の醜さに浸る快感」と出てくる。
うわー、と思った。
「心よ、これは私だけがされているの?」と聞くと、「そんなことはない。みんなされている」とこたえる。
「心よ、でも相手は支配者ではないのでしょう?」と聞くと、「そうだね、間接的な支配者なので、あなたの心に巣食う闇を食べる存在が必要かも」と言ってくる。
そこでもう一つ思い出したのは、この感覚を以前感じたのは数年前のことだった。
あの時はインサイトで治療を始めて間もない頃で、とあるYouTubeの撮影現場で会った人に感じた感覚だった。
かなり強い強烈な支配を感じたけど、その後、話している内に誰よりの味方になってくれたような感じもしなくない。
要は「利用しろ」ということなのかもしれない。
私の純粋さは守られるものであって、誰にも壊すことができないもの。
もし、それを壊すことができるのなら、私はその人を一生憎んでもいいのかもしれない。