糖尿病の危険性
私の家は糖尿病の家系です。
幼い頃から透析をしている祖父、そして父親、そして父親の姉…と順番に糖尿病に罹患していく姿を見ていました。
私は糖尿病の何が嫌なのかというと「注射を打つこと」です。
自らが注射器を持って腕に指すなんて、もってのほかです。
なぜなら私は、注射をされただけで貧血を起こして30分立てなくなるほどの先端恐怖症なのか、それとも血液恐怖症なのか…人の血を見ただけで、失神するレベルまで血の気がサーーー…っと引いていきます。
いつからこうなったのかは明確ではありません。
なぜなら私は昔「注射が得意!」だと思っていたから。
それは小学生の頃までてんかんだと疑われていて、病院に行く度に血液検査をしていました。
私は強がりだったのか母に心配をかけたくなかったのか、もしくは母親に「えらい」と誉めてほしかったのか、多分「注射が得意!」なふりをしていたんですね。
だから、本当に私が注射が得意なら、たぶん今頃看護師さんや医療系を目指していたと思います。
だけど、青虫や幼虫がどうしても無理なように、私にとって血を見ることや外傷に触れることは、この上なく嫌なことでした。
なんでしょう、この「絶対見たくない!」という気持ちは。
たぶん「痛いのが怖い」という共感能力からきているのかもしれません。
私は自分に「共感能力がない」と思っていました。
その証拠によく「君はアスペルガーですか?」という質問をよくされます。
アスペルガー症候群が実際どんな症状か詳しく説明できませんが、「あなたは空気を読めない子」と揶揄されている雰囲気はビシバシ伝わります。
なぜ、共感できないのかというと、私は人の深淵を見た時に「引きずり込まれる能力」というものを持っているからでしょう。
この「引きずり込まれる」という恐怖と能力を持っているからこそ、人の深淵を避けて通った時に、相手は「あ!今、私のことを無視したでしょ!」となるのでしょう。
だからある意味、解離してしまっているのだと思います。
私には地雷というかトラウマがたくさんあって、私と関わった人は口を揃えて「じゃあ、そんなこと言われたらもう君に何も話せない」と言われます。
それだけ何がきっかけで過去の嫌な記憶がよみがえるか分からないし、私には言われたくない言葉がたくさんあるのです。
だけどごく稀に、何も言わなくても私の深淵に触れてこない人がいるのです。
(ちなみに大嶋先生はこれを分かっているからか、私の質問にはあまり説明などなく遺伝子コードや呪文を一言で終わらせられることが多いです(笑))
なぜ、ごく稀に上手くいく人がいるのかというと、きっとその人は敏感な人なのでしょう。
だから私にトラウマがあることを分かっていて、そしてそれ以上は「踏み込まない」と出来る方なんだと思います。
私は最近、やたら食べるのが止まりません。
尋常じゃないぐらい食べています。
きっと自分には今膨大な負荷・ストレスがかかっていて、それで脳を誤魔化そうと甘い物を食べたりスナック菓子を食べたり、それを止められずにいるのだと思います。
本当に、一日中何かを食べていて、すぐお腹が空くです。
それはタバコを吸っていた時のように、一本吸い終わったら再び「あーまたタバコが吸いたいなあ」と思うように、中毒になっているのでしょう。
だから私はこの過食症のような状態を元に戻したいんだけど、だけどどうにも疲れていて自炊する気力も湧かないんです。
そこで「意識でどうにも出来ないことは無意識にまかせてみよう!」ということで、無意識さんに聞いてみます。
「心よ、なぜ私はドカ食いをしてしまうのですか?算数障害の影響ですか?それともトラウマですか?」と聞いてみます。
すると心は「いいえ、どちらでもありません。あなたの母親の影響です」と言ってきます。
「!?」と思った私は「心よ、母親のどういう影響を受けて、私はドカ食いをしてしまうのですか?」と聞いてみます。
すると心は「そうですね、あなたがドカ食いをしてしまう背景にあるのは母親のトラウマなのかもしれません。あなたを十分に食べさせてあげられなかったトラウマ」と言ってきます。
「心よ、それは何歳の出来事ですか?」と聞いてみると、心は「そうですね、それは5歳の頃です」と返ってきます。
「心よ、5歳の頃に何がありましたか?」と聞いてみると、心は「5歳の頃、あなたは虐待をされていた」という恐ろしいことをダイレクトに言ってきます。
「心よ、どんな虐待をされてきましたか?」と聞いてみると、心は「馬小屋」のイメージを出してきます。
馬小屋、と思うと「イエス・キリスト」と浮かんできます。
「私は醜い恰好をさせらてみんなから侮辱される汚物にまみれた汚い存在」というイメージが出てきて、でも、じゃあそれとどう「ドカ食いが止まらない」が関係があるのかが分かりません。
だけど次に出てきたイメージが「馬小屋で暮らす私はガリガリに瘦せていて、食べる物を満足に与えてもらえないのは家畜だから」と出てきました。
全くどういうことか分かりません。
そもそも私に5歳の記憶はほぼありません。
(大嶋先生曰く、そんな年齢の頃の記憶は「なくて当たり前」なんだけど、その覚えていなくて当然の年齢のことを「覚えていない」と言ってしまう人は、そこにトラウマが隠れているらしいです)
私は自分のトラウマを仰々しく言うつもりはありません。
だけど、過去の私が今の私に救ってもらいたがっているような気もしなくはないのです。
私は、いずれ遅かれ早かれトラウマ治療に行きついていたと思います。
だけど「自分のトラウマを癒す」という方法は、私が想像していたものと全然違ったのです。
そうやってトラウマ治療のことについて考えていると、父親のことが脳裏に浮かびました。
父親は公務員でしたが、毎日午前4時頃までテレビゲームをしてから寝て、そして次の日の朝8時とかに起きます。
明らかに寝不足なんだと思います。
私は夜に眠るのが苦手でした。
夜になると眠れなくて、布団の中で何時間も目をらんらんとさせて起きていました。
眠れないんです。
それは父親が起きている居間の明かりが私の部屋に届いて眩しくて眠れないのか、トラウマのフラッシュバックがひどくて眠れないのか、私には分かりませんが、でも眠るのがとてつもなく苦痛でした。
だから私はそういう時に心に聞くのです「心よ、これは何歳のトラウマですか?」と。
すると今度はトンネルのイメージが出てきます。
いつも家族旅行で長距離の移動を、父親が運転する車に乗って、奈良から関東方面に向かいます。